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概要

広報はくば7月号

 白馬村に暮らすようになってからなぜか僕の意識の端にはつねに青鬼がある。ともっては消え、前触れもなくまたともるろうそくの灯りのように。そのろうそくに灯りがともるたび、僕は青鬼集落へゆく。   姫川に架かる通橋を渡り緩急二十ほどのカーブを上ると集落に入る。標高八百メートルに鎮守する青鬼神社を最上部に五十メートルほど下りた傾斜地間に点在する古民家群。各屋根の破風には「水」「寿」など象徴的な文字が描かれている。江戸末期まで社寺建築だけに許されていた懸魚の妻飾りの代わりに民家が考案した災禍除けの護符のようなものだ。 縫うように敷かれた細道をゆくと、いつの間にかこの集落に綴られた「青鬼の物語」に迷いこむ……。 あるとき悪行を重ねた鬼が岩戸山八合目あたりにあった岩穴に閉じこめられた。やがて改心した鬼は人びとに善行を施す、という伝説だが、じつはその行間にはある脚注が隠れている。西暦九百年代後半、周辺地域では疫病が猛威をふるう。集落の鎮座・岩戸山には青い鬼が住んでいるという言い伝えがあった。その鬼がたびたび麓近くのこの集落に出没するようになった。すると時期をおなじくして疫病は影を潜め、災禍が繰り返されることはなかったという。奇跡は周辺地域にも知れ渡り、人びとは青鬼を神聖な土地と崇めた。毎年九月、霧降宮切久保諏訪神社で執り行われる『七道祭り』において七道が被る七面のうち三面を青鬼集落が司る伝統からもその歴史的重みを知ることができる。(青鬼集落保存会会長・降籏氏談) 青鬼神社参道に敷かれた約二百五十段の石段を下り、白馬山麓を一望できる集落の高台に立つと、普請を終え山から戻ってきた集落の人たちに出逢った。まるで時間軸にずれが生じたかのような静かな行進だった。白馬三山からの斜光を受け琥珀色に輝くその後ろ姿に僕は思った。青鬼集落の人たちはあの青鬼の子孫かもしれない。 ふと『今昔物語』に飛騨白川谷(白川郷)にまつわる記述があったことを思い出した。……当地に投宿した僧侶が猿祟り神と戦い打ち負かしその住処すべてを焼いた。その後僧侶は還俗し娘と暮らす。才気煥発な元僧侶の働きで当地は繁栄した……。 絶えることなく観光客が訪れ多忙な世界文化遺産地の運命を選択した白川郷に古の残照を見ることはできない。一方、青鬼堰を滔滔と流れる清水のように「善良なる青鬼=御善鬼様」伝説と共に慎ましやかな暮らしが今も深呼吸する青鬼集落。 すでに琥珀色の斜光は過ぎ白馬三山からきょう最後の陽光が届く。青鬼特有の薄紫色した薄暮の灯明が集落を包む頃。細道を歩く人の姿はなく家々には小さな灯りがともる。静寂の片隅からかすかに暮らしの音が漏れてくる。あの青鬼たちも兜造りの家へと帰ったのだろうか。濃い紫色に変色したアスファルト道をゆっくりと下りながらルームミラーに映る集落の輪郭を眺め思った。悠久の歴史の流れには「発展」と「衰退」の分岐点が存在する。しかし必ずしもそのアントニムは成立しない。なぜなら「持続」という選択肢があるからだ。現代の青鬼たちはその道を歩んでいるのだろうか。「暮らしの美は心の美をつくる」白馬村には宝物があった。(了) 六月一日より白馬村役場総務課付き『集落支援員』に就任しました。『集落支援員』の主な仕事は小規模集落の支援を中心に白馬村を構成する三十の行政区を側面的に支援する活動です。普請の手伝い、空き家対策、公民館活動の企画作り、そして地区事業へのアイディア提供等々。いわば“便利業”だと自負しております。 約三十年間の出版社勤務(編集・記者)を経て、昨年十月、家族会議全員一致のもと(妻と大型犬一頭)と共に移住しました。今まで世界各国に点在する山岳リゾートや観光都市を取材。ときに家を借り長期滞在もしてきましたが、白馬村は世界有数の生活拠点、理想郷だと確信しております。そして白馬村のため拙なるキャリアが微力ながらもお役に立つように努力させていただきます。(今号より、コラム『白馬耳目(はくばじもく)』を連載させていただきます。集落支援員として各地区を訪問し耳目したことを綴る拙文です。ご一読いただけますと幸いです。)青鬼の集落。ご挨拶集落支援員佐藤 一かずいし石白馬耳目Vol.111