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概要

広報はくば8月号

和田野ルネサンス白馬耳目Vol.2〝それは長野五輪開催の3年前にはじまった。凍った道に閉じこめられた足跡のようにバブル時代を象徴したスキーブームの痕跡が和田野の森にも残っていた。静寂を取り戻した季節。男たちは勝手気ままな宿泊施設の名称や道順、距離等を描いた古看板を撤去し、あたらしい看板を掲げた。50面の看板は秀悦なグラフィックアートのように美的で、デザインは統一され、道ゆく人の背筋は伸び、眼差しには熱と輝きが宿っていた。和田野の森に“美意識”が芽吹いた季節だった。木立のなかに見出された残照のように〟7月下旬、僕は25年ぶりに和田野の森を歩いた。その頃の和田野といえば宿泊施設の軒数も少なく、冬季は軽井沢の高級別荘地と同じく凛としていた。たしかに建物の数は増え、その個性はかつての和田野とは違う。フランス料理にたとえるなら、オートキュイジーヌ(正餐)→ヌーベルキュイジーヌ(あたらしい料理)になった感がある。しかしこれも時代の流れだろう、と緩やかな勾配道を進む。すると左手にまあたらしい小さなログハウスが見えた。近づくと階段両側とテラスに赤い花が飾られている。建坪からしてペンションやレストランではなさそうだ。たぶん、チョコレートドリンクやバリスタのコーヒーを飲ませてくれる洒落たカフェなのだろうと思った。周囲には広い駐車スペースもあり、来客を迎えるホスピタリティの高さがわかる。ところが、この見立ては、赤面するほどの勘違いだった。それも興奮して身震いするほどに。「リゾート=和田野にふさわしい“ゴミ集積所”をつくりたかった」とS さんが教えてくれた。S さんは和田野の発展、激動する時代の波に押し流されないよう景観保全に尽力してきた人だ。「設置場所を決定するまでが大変だった」と元区長のO さんが話しはじめた。白馬村に限らずゴミ集積所の設置場所選定は行政問題の中でも難題のひとつ。その必要性は理解できるが、いざ自宅傍にゴミ集積所が、となると敬遠してしまうのが世の常だろう。しかし和田野の有志たちは4年の歳月を費やし候補地を決め、デザインを描き、情報共有と理解を求めた。その密度が高まるにつれ協力者も増え、やがて反対者は皆無となった。なぜそうまでして“ゴミ集積所”という概念から逸脱した!? 想定外!? の『和田野の森のゴミ集積所』を設立したかったのか?  S さんが一言ひとことを噛みしめるように語った。「県道白馬岳線、和田野の象徴でもあるモニュメント制作のときもそうでした。この白馬村、私たちが暮らす和田野というリゾートの将来にふさわしい文化とは、理想郷とは……。皆が心に刻んで日々生きています。ときには困難やとても大きな壁が聳えることもあります。残念ですが諦める選択をしたときもあります。でも、そんなときに思うのです。この和田野にある“もの”を愛し何ができるのだろうかって。するとおのずと答えがでます。“この恵まれた自然、この森を大切にしよう”と。それが私たちの美意識の源です」そしてS さんは今も和田野の森に木霊する美意識の物語を朗読してくれた。その原稿は記憶と心の中に編まれたものだ。僕はたしかに思った。「和田野の森のルネサンスは、白馬村のルネサンスなのかもしれない」と。家に帰ると現区長のH さんからメールが届いた。表題には、リサイクル分別資源回収『エコバンク』と書かれている。地区に暮らす人たちへ和・欧文配信されるゴミ集積・リサイクルに関する“和田野ルール”の情報共有だった。僕は「なるほど、あの美麗なゴミ集積所運営開始にあわせて送信したのか」と高を括り日付を見た。するとそこには「通算248回」と記されていた……。(了)(集落支援員/佐藤一石)5