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概要

広報はくば9月号

偶然の小径……木流川散策路。白馬耳目Vol.3洋の東西を問わずファンタジー( 空想小説)の場面設定において、『森』ほど登場回数の多い舞台を僕は知らない。幼少の頃、眠りにつくまで耳もとで囁くように読み聞かされたルイス・キャロル『不思議の国のアリス』。思春期、冷房のない部屋で隠れるように読んだシェイクスピア『夏の夜の夢』がそうだった。もちろん宮崎駿『となりのトトロ』も。いつしか『森』は侵入するものをじっと監視し、時に悪さをする、そんな秘密めいた何かが住む(棲)場所となった。僕の中にある『森』は以降ずっと畏怖と畏敬の布に包まれている。唯一とても小さな入り口だけが開かれたままで。村役場の西側、平川神社左手に“秘密の入り口”を見つけたのは8年前の夏だった。犬との散歩道をさがし村内を歩きまわっていた時、偶然出くわした小さな木製立て看板。『木流川散策路』と彫られた小学生の工作品のような手作りの道標。僕たち家族はまるでどこかの家の敷地内に不法侵入するかのようにこっそりと足を踏み入れた。白馬村に暮らす人なら誰もが知っている散策路だから、詳細な道案内は割愛させていただく。けれど観光客としてはじめて通るその道は実に不思議で想定外で驚くほど野生的で美しく、何より偶然だった。すぐそこにスーパーがあったはずなのに。子どもの頃から度々夢見るあの『森』の扉が開いた。8月最後の日曜日。僕たちは久しぶりに『木流川散策路』へ入った。役場の前を歩いていた時は晩夏に微睡んでいたはずの愛犬の背中に突然緊張が走り、鼻腔を開閉して匂いを嗅ぎ、気の抜けていた首筋と尻尾に生気が漲った。動物は正直だ。ここからは野生のテリトリーだと教えている。  幻の淡水魚が奏でそうな渓流音楽が木霊する散策路を進みビオトープが開けた時、ふと思った。生物学用語=ビオトープとは動物や植物が恒常的に生活できるように造成・復元されたコミュニティ、と記されている。ギリシャ語の「bio(命)」「topos(場所)」を組み合わせた造語だが、この概念はまさに人間社会に共有できるはずだと。とりわけ白馬村のような国際観光村にとっては。『木流川散策路』は白馬村という生態系のあるべき姿を具現化した、いわば「白馬の良識の象徴」ではないだろうか。ゆえに僕たちはこの道を歩き思索し白馬の恩恵を享受したい。散策路を抜けると晩夏の陽光は突然眩しく、僕は少し離れた所にある珈琲店へ入った。『木流川散策路』を歩いてきた、と話をすると店主の奥さんが一枚の絵葉書を見せてくれた。先日白馬を訪れたという、著名なノルウェー人生態学者夫妻からのお礼状だった。どこか気楽に散策できる場所を教えてほしい、と訊かれ、店の裏手にある散策路への道順を教えたのだ。僕が大好きなノルウェー・ヌールラン県に属するロフォーテン諸島の景観切手が貼られたその葉書には「木流川散策路を教えていただいて何度も散歩しましたが、ここが他のどこよりも心に残っております」と綴られていた。(了)(集落支援員/佐藤一石)7