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概要

広報はくば11月号

10月末の土曜日。日課のランニングに出た。気温は11度だった。背後に聳える白馬連峰を滑り下りてきたという冬のにおいを纏った北風が並走した。家から5分程走った所に鎮守する『若宮様』に二礼二拍手一礼を済ませ、ふと裏手に流れる横堰の先を見ると数人の男性が草刈りをしている。その中に知り合いを見つけ挨拶した。白馬村に越してきてから覚えた大好きなコトバ=普請ですか、と訊く。すると僕には異次元の!? 答えが返ってきた。何やら『ギフチョウ』と『ヒメギフチョウ』の食草、カンアオイやウスバサイシンなどを栽培する整備活動らしい。その2種類の蝶の名前、山野草か山菜かの区別もつかない植物の存在も未知だった。唯一聞き覚えがあったのは、蜜を吸う成虫のために植えるカタクリの名称だけ。『白馬いい森づくりの会』の人たちは、目の前に呆然と立つ哀れな!? 新参者に教えてくれた。その蝶は天然記念物。植物は蝶の生存に不可欠な食草だと。蛹となり白馬村の美しくも厳しい冬を耐え、雪解けの春と共に訪れる生命の息吹の時、無垢な空腹を満たすことができるようにと願う普請。単に集落や村のためではなく、5年前から続く天然記念物の蝶たちを想う普請だった。数日後には白馬高校生徒が希望を籠めた食草を植える(活動は10月30日実施。31日『信濃毎日新聞』25面・信州ワイドに掲載)。「私が若かった50 年ほど前までは白馬の山には日常的に人の手が入っていました。日々自分の山の除伐に勤しみ、必要があれば間伐を施す。そして時期が来れば伐採し売却もしました。当時、自分の家は自分の山の木で建てることが多かった。でも観光業が盛んになった頃から山へ人が入らなくなってしまいました。飯森にはその最後の家がありますよ」と先輩会員は若い輝きを宿したままの瞳に、少しだけの愁いを漂わせ話してくれた。最近、集落支援員として何か役に立つことがあるのではと思い、山林の除伐や間伐の勉強会へ参加するようになった。その貴重な体験で聞こえてくるのは「山が荒れ続けている」という危惧の訴えだ。人の手が途絶えた山では、人と野生動物との間に張られていた結界が綻びつつある。人の油断を見抜く本能を備えた動物たちは恐れることなく先祖から受け継ぐ田畑へと侵入している。山林に詳しい諸先輩は、結界の再構築が急務だと異口同音。僕ごときが林業の復興など大それたホラを吹くつもりはない。たとえば…… 少しずつ遊休山林を整備し、光が射し込み、樹木や山野草が永い眠りから目覚め、数年後には貴重な植物が花を咲かせ、やがて村を囲む山林のそこかしこに白馬情緒溢れる探勝路が敷かれる。そして次世代たちが間伐材を再利用する創作家具&芸術工房を開き、山菜園が営まれ、かつてはそうだったように炭を焼く探究者や、メイド・イン・ハクバの木材で家を設計する建築家が生まれるかもしれない。山と人が結び付き、産業が生まれ、観光を招く。それは目を見張るような豪華な世界ではないのかもしれない。けれど点在する〝小さな幸福〟が増え密度が濃くなれば〝幸福の大輪〟になる。その大輪とはもちろん白馬村のことだ。窓を開ければすぐそこに新雪を冠した白馬の山々が微笑み、道を歩けば収穫を終えた田畑に初霜が踊り、耳を澄ませば清流が謡い、そして家裏の森には天然記念物の蝶が舞う……。僕たちは奇跡の村に暮らしている。(集落支援員/佐藤一石)蝶舞う奇跡の村白馬耳目Vol.512