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概要

広報はくば1月号

白馬耳目祝日の午後。静まり返った小学校の裏手、小さな踏み切りを越え細い沢を渡ると、そのスキー場はあった。先日降ったこの冬三回目の雪が萎んだ綿菓子のようにゲレンデを覆い、大小複数の動物たちが足跡のあやとりでハシゴをつくっていた。四本の支柱で繋がるT バーリフトのロープはまだ倉庫の中らしい。僕はスキー場の門番をしている圧雪車のキャタピラに腰掛け休憩した。ドア窓から覗く運転席と独特の形状をしたハンドルに見覚えがある。記憶の入り口を探すため深呼吸する。はじめに干からびた潤滑油の黄橙色した汗の匂い。そしてほんのわずかな時間差で、体育館の片隅に置かれた真新しい帆布マットのように雪を被り、除伐されたばかりの木枝から青緑色の若い香りが届いた。最初の匂いは三十年前、二番目の香りは五十年前の記憶……。二十代半ば、僕はとあるスキー場でパトロールと圧雪の仕事をしていた時期がある。スキーが上手くなりたい一心で飛び込んだ世界だった。一晩に一メートル以上もの雪が降り、猛吹雪の中、深夜三時頃から圧雪車を運転し七時に上がり、朝食後すぐにゲレンデのパトロールに出る。昼休みに仮眠をとる時もあれば、夕食後にナイター終了まで、パトロールとは名ばかりのスキー練習を繰り返す。たとえ疲労困憊で倒れそうになったとしても、日本を代表する選手が音も立てずに刻印する、面ではなく線にしか見えない、そして鋭利な溝を持つ弓なりのターン弧の跡を滑ることができるのなら。何より“顎・枕”付きの給料を貰いながら無料でスキー生活ができるのなら。自ら選んだ全ての苦労は名オペレーターが圧雪したゲレンデのように美しく相殺された。そして五十年前の記憶は三十年前のそれよりも遥かに鮮明で大きい。小学校低学年、僕が通う学校の裏には標高差のある城址公園があった。とても古い木造校舎はその裾野に建っていた。冬になると、お世辞にもグランドとは言えない小さな運動場を囲む北側の杉林と土手が“有志”たちのゲレンデとなった。年に一度、バスを連ね遠足のようなスキー授業も開催されたが、僕たちは放課後日が暮れるまでの数時間、日曜日には祖母と一緒に弁当持参で一日中滑った。全長は三十メートル位だったと思う。ロープトウなどの索道は設置されるはずもなく、汗だくになりながら登り、あっという間に滑り降りた。それでも僕たちは無我夢中。昼食時、祖母が背中に入れたタオルを引き抜いた時の、あの容赦ない一瞬の冷涼と、雪の椅子に尻を沈め友人たちと食べる焼き鮭おにぎりの幸福を決して忘れはしない。今こうして自分の体のどこかに蓄積された記憶という思い出のファイルを遡ってみると、あることに気がつく。それは遠い日の記憶ほど鮮やかでまばゆいという事実だ。それらの体験は現在の自己を形成する(してきた)とても重要な栄養素だったと思っている。たとえ大人になって仕事や人間関係に忙殺される毎日が訪れようとも、冬の季節の中で、どこかの町や村の里山で雪と混ざった杉の葉の香りを嗅いだ時、子供の頃に心身で記憶した遠くて近い思い出がよみがえり、ふっと、もしか強烈に郷里を親を友を感じることができれば、それは間違いなく至福の降臨なのだから。白馬村立白馬南小学校『裏山スキー場』。大正三年から教員・保護者、地区住民、生徒たちによって脈々と受け継がれてきた“雪の学び舎”の、有形無形の伝統と不変の愛。年明けには眠っていた圧雪車が目を覚まし、ロープトウのモーターが滑車を鳴らす。そして過去百年がそうだったように、生徒たちの無我夢中がこだまする。この冬、子供たちはどんな思い出を宝物にするのだろうか。(集落支援員/佐藤一石)少年の日の思い出。Vol.710