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概要

広報はくば2月号

白馬耳目新しい年が歩き始めた1月第2週の週末。二つの『おんべ』に参加した。降りしきる雪の中、奉納品や献酒が供えられた奉献台の前に神職が立つ。耳元を通り過ぎる雪音と祝詞がどこか辺境の民族音楽のように聴こえる。やがて信州白馬四ツ谷太鼓が鳴り響き白馬町の『おんべ』は始まった。翌日、五竜岳の頭上に冬星が輝く夜。大勢の外国人がグランドを目指し歩いていた。僕も列に紛れ付いて行く。広場に入ると青が滲んだ漆黒の緞帳に高さ10数メートル程の尖塔型のシルエットがあった。地元有志の軽妙な語りと共に点火。地上にあった火勢は昇り御幣に迫る。供養を待つだるまが、まるで俗世に別れを告げるかのような声を発し燃え行く頃、心柱は倒れた。幣串に挟まれた依代を授かろうと子供たちが走り寄る。飯田の歴史が溶けた甘酒と神聖な残り火で焼く餅が振る舞われ、飯田の『おんべ』は残照に揺らめいた。“火祭り”といえば野沢温泉の『道祖神祭り』以外、体験したことがない僕にとって、白馬村の『おんべ』には観光事業とは異なる郷土という匂いと味がした。ふと白馬村の郷土史に興味が沸き、入村以降一度も手に取ったことがなかった『白馬村の歩み 村誌・観光・登山・スキー編(四)』を開いた。手元にある第4巻は巻頭例言に「第3巻の?社会環境編(下)?に属するものであるが、白馬が今日ある経済基盤ともなった?観光・登山・スキー?を独立させて、白馬の独自性を主張したものである」と記載。いわゆる特別編集版だ。その構成は緻密かつ深度ある史料検証と取材の集大成で、頁を進めるたび興奮する。文献熟読と口頭伝承で紡ぎ上げられた記述の行間には白馬連峰大自然の恵みと白馬人の汗と誇りの物語が読める。レルヒ少佐によるスキー伝承からわずか3年後の大正2年、白馬にスキー文化が開花(5頁)、そして白馬が民宿発祥の地という事実(10頁)に始まり、あとがきと共に添えられた「大雪渓を登る強力(歩荷)たち」の写真(362頁)が先人たちの創造した壮大なドラマに一区切りをつける。この村誌には白馬村=日本における観光・登山・スキー文化の〝奇跡の軌跡〟が綴られている。夢中になって読み終えた数日後。いつものとおり塩の道を通勤途中、麓に氷霧の朝靄をたたえながらも標高を増すにつれ晴れ渡る白馬連峰を仰ぎ見た。するといつもとは異なる思いが吹いた。それは村誌を読み進める途中からざわつき始めたある問いに対する答えでもあった。僕は白馬村に移住以降「白馬村はもっと伝統文化を再興するべきだ」と思い続けていた。周囲の人にもそう話していた。しかし村誌を読み「僕は間違っていた」と思い始めている。「僕が信じていた“伝統”って実は“伝承”なのでは?」と。伝承とは、昔からある有形無形の文化をそのまま引き継ぎ守ること。対して伝統の真意は、昔から受け継ぐ文化を時代にあわせ革新し受け伝えて行くこと。それは伝承を、または昨日までの伝統を否定し破壊するものではない。僕はそう解釈した。村誌に生きる白馬の先人たちも革新し続けた。「時代のおかげ」と振り返る人もいる。確かにその追い風は吹いていた。しかし風をとらえる帆を張り操船しなければ艇はただ波にもまれるだけだ。先人たちは不屈の精神で昼夜波浪を乗り越えた……これこそが白馬の伝統なのかもしれない。(集落支援員/佐藤一石)伝承と伝統Vol.810