ブックタイトル広報はくば3月号
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広報はくば3月号
11白馬耳目白馬村に越してきてからというもの、僕には幾つかの幸福との出会いがある。中でも“郷土の食”はとりわけ美しい感動と記憶の蓄積を授けてくれた。「年中いつでもあるものじゃなく『おかのえ』の日や『おこひる』の合間に食べたもんだよ」とおばあさんは言った。民宿発祥の地=白馬の老舗で供される郷土料理を知る目的で訪問した宿での出来事だった。集落各家に伝わる常備食の一つ、黒飴色をしたダイコンの葉やキュウリの佃煮が入った複数の小鉢の横に、おばあさんのかき餅はあった。白状すると僕はかき餅が大好きだ。一度手を出すと貪るように食べ続ける。菓子鉢や袋が空になった時点でようやく僕の無我夢中は正気へと戻る。東京では麻布十番に店を構える菓子店へ通い、店の名前にもなっている豆菓子ではなく塩味のかき餅を数袋買う。下町界隈や京都、そして地方に残る古い商店通りの老菓子店で、無造作に置かれた手詰めのかき餅を見つけると僕は小躍りする。そしてまるで決まり事のように、不揃いのかき餅は地域独特の風土文化の味を奏でる。「昔はほとんどの家でつくってたんだけどね。みんなもち米なんかつくらなくなったから、今じゃこの集落でも10軒くらいじゃないかな」とおばあさんは微笑みながら少しだけ寂しそうに言った。おばあさんのかき餅は醤油味と塩味の2種類。ザラメ糖の中で最も結晶が細かいグラニュー糖を使う。砂糖では粘着が強すぎかき餅が絡まってしまう。製造工程!?で特に手間暇をかけるのは乾燥だと教えてくれた。おばあさんは毎年かき餅用にもち米9升(約13・5キロ)を使う。それらを材料とし、まずは一般的な餅をつくる。「ここからがたいへん」とおばあさんの言葉に感嘆符が付く。約2ミリ厚にのばした餅を4×1・5センチの長方形に切り分け、その純朴な乳白色の小さな御札を1枚1枚丁寧に寝かす。8畳間にびっしりとだ。紆余曲折、失敗を繰り返し見つけた乾燥の極意。おばあさんだけが会得した温度・湿度や風通しの秘策が存在する。約1カ月間白馬の風土文化、そして伝統に育まれたかき餅は、満を持して“揚げ”という産湯の儀式を通過するのだ。集落の小径を散歩したおばあさんのかき餅の噂は、いつの間にか隣村へ渡り、さらに遠方まで届いた。当初は満面の笑みでかき餅を受け取り、数日後お礼と感動の言葉を綴ったはがきが配達される日常だった。やがてつくり方を教えてほしいと懇願され、ついには個別料理教室の受講を切望する人も出現。おばあさんは苦笑した。しかしその熱心な探究者たちも、手取り足取りの直伝を施されたはずなのに、おばあさんのかき餅を再現することは不可能だと悟るらしい。白米、蕎麦、味噌、醤油、漬物……と同じ魔法なのだろうか。白馬村には白馬だけの食がある。味がある。文化がある。そして人がいる。(集落支援員/佐藤一石)おばあさんのかき餅。Vol.9