青鬼神社・火揉みの神事

青鬼神社

集落中央部の北方に長い石段と石畳が延び、これを上ったところに鎮守の青鬼神社があります。

青鬼神社の創始は大同年間(806年~809年)と伝えられ、今の神社の本殿は明治26年(棟札)に、また覆屋は明治時代中期に建造されたものです。祭神はお善鬼様で、生前に村人のために善行を施した鬼を、その死後、大同元年に岩戸山の洞窟に祭ったと言われています。その後、安和2年(969年)に遥拝所(遠く離れた所から拝む場所)として今の場所に建立されました。

毎年9月20日の祭典の際には、村人による花火の打ち上げ、白馬村の無形文化財に指定されている火揉みの神事、灯籠揃えなどが行われ、古い伝統をよく伝えています。また5月に春祭、11月に秋祭も行われています。

青鬼神社には、本殿、諏訪社などの社殿及びこれらの覆屋、神楽殿、鳥居、石祠などが配置されています。本殿は一間社流造、こけら葺きで、明治26年(1893年)に造られたものです。覆屋(本社)は、間口12尺、奥行17尺、切妻造、鉄板葺(元茅葺)で、前4.5尺を吹放ちとして縁を三方に設けています。建築年代は本殿と同年頃と考えられています。青鬼神社本殿の東側にある諏訪社の本殿は、一間社流造、見世棚造、板葺で、延享4年(1747年)に造られたものです。また、覆屋は、間口8尺、奥行7尺、寄棟造、茅葺(鉄板被覆)の建物で、建築年代は本殿覆屋と同じ明治時代中期と考えられています。本殿・諏訪社の境内より一段下の境内に参道を向いて神楽殿(明治時代の本殿棟札では拝殿と称する)が配置されています。神楽殿は間口4間、奥行3間4尺、寄棟造、茅葺(鉄板被覆)の建物で、奥行の後半には中二階が造られています。建築年代は本殿覆屋・諏訪社覆屋と同じ明治時代中期と考えられています。

青鬼神社祭典 火揉みの神事

白馬村の無形文化財に指定されている火揉みの神事(火鑚りの神事)は、毎年9月20日の青鬼神社祭典時に年番の家で行われていました。
*現在はお善鬼の館で行われています。

祭神に奉納するために、聖なる火を起こして、それを神社の灯明、常夜燈や各家々の神前と灯籠、打ち上げ花火などに使用します。

火揉み盤にはヒノキ板、火揉み棒には地元ではカズと呼ぶコウゾの乾燥した棒を用います。ヒノキ板にコウゾの棒を垂直に立て、両方の手のひらで力を入れて30分くらい激しく揉み込むことで、木口から粉灰がこぼれ落ち、過熱するとその粉灰に火の玉状のものができ、煙が立ちのぼります。息を吹き込みながら火勢を大きくし、つけ木っぱを添えて炎とし、ローソクに移します。

極めて素朴で原初的な伝統を伝える文化遺産です。

青鬼神社

青鬼神社

火揉みの神事

火揉みの神事

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更新日:2023年05月08日